髪型を変えて大失敗!イメチェンに失敗した男たち。

新たな髪型にトライしたものの、失敗に終わった男たちの実話。

初めてのブリーチで悲惨な結果に!!

私はこれまでワックスやカットで髪型を楽しんでいましたが、カラーリングはしたことがありませんでした。しかしどうしてもメッシュがしてみたいと思い、初めてのカラーリングに挑みました。

しかし髪の毛が太く地毛が真っ黒のため美容師からもブリーチの方が良いと言われ、脱色後のカラーリングをすることに決めました。初めは美容院でと思いましたが、7000円と言われて諦めてドラックストアで市販のブリーチを購入しました。実際に使ってみたがどの程度ブリーチをつけていればいいのかわからなかったため、出来るだけ長くつけておきました。

そしてシャンプーした後にヘアカラーを入れ、私の初めてのカラーリングは完成しました。私がしたかった色はアッシュグレーです。しかし実際にはグレーよりも金色からオレンジに近いような明るい色となりました。さらに後頭部・えりあし・前髪など部位によって色の入りやすさの違いがあることを知らず、適当に塗っていました。そのため色合いもまだらになってしまい、なんとも汚い仕上がりになってしまいました。友人からはへたくそと言われ、彼女からは「気持ち悪い・色が汚い」など散々な評価でした。また私は髪の毛の長さはミディアムヘを続けており、おでこが広いため短くすることに抵抗がありました。もう一度カラーリングをするまでの間はとても苦痛で可能な限り帽子をかぶって過ごすようにしました。しかし2週間もするとわずかに入ったアッシュグレーの色が落ちてしまいました。

その結果、全体的に黄色い仕上がりになってしまいました。私はさすがに限界だと思い、黒染めを決意しました。黒染めをすると3日ほどは綺麗に染まっていました。しかし1週間も経つと今度は全体的に赤黒い色になってしまいました。それも不評が続き、何度も繰り返すうちに髪の毛はボロボロになり、せっかくのミディアムヘアもまとまらなくなりました。初めはアッシュグレーにしてヘアムースで髪の毛の動きを出したいと思っていました。しかし現実には黒染めの繰り返しとその度のヘアダメージでどうしようもなくなりました。すべてリセットしたいと思い、ベリーショートにして傷んでいる部分を全て切り落とすことにしました。

美容師からも「この痛み方はひどい、髪の毛がかわいそう」とまで言われてしまい、とてもショックでした。ベリーショートにするとヘアカラーの憧れもミディアムヘアのこだわりもすべて失われてしまい、精神的にきつかったです。数か月もするとある程度長さが保てるようになり、自身も取り戻すことが出来ました。次はお金を気にせず、しっかりと美容室でヘアカラーしてもらい、あこがれのミディアムヘアでのカラーリングを楽しみたいと思います。

ソバージュをあてて失敗した過去・・・

18歳のと期の話です。高校を卒業した時に一番にしようと思っていたのがパーマをあてることで、卒業式を終え近所の美容院で期待感の中、美容師さんと相談してあてたパーマはソバージュでした。髪の長さは肩の下であてるには十分な長さでした。何故ソバージュに決めたのか。雑誌やテレビでみたソバージュの印象が大人な感じを受けたんです。見た感じ大人という印象で化粧をしたらちょっとかっこいい自分になれそうな憧れと期待感でいっぱいでした。しかし、パーマの機械を外し、鏡に映った自分をみて絶句。髪の毛が想像以上に膨らんでおり、細かいソバージュはカチカチ。雑誌やテレビで見たかたさの中にも柔らかさを感じるおしゃれなソバージュとは全くかけ離れた姿で、これからカットして揃えますねという美容師さんの言葉にはただただうなずくだけでした。切って揃えてもらったらキチンとなるかもしれないとなんとかイメージに近い髪型に落ち着くはず、大丈夫だよと心の中で自分に言い聞かせました。しかし出来上がったソバージュはイメージとは違う、かたく波打ったもので全然違う仕上がりにショックで打ちのめされました。そのまま約束していた友人に会いに行き、凄い!髪型パーマあてたんだね。

いいんじゃないという言葉をかけられるも、もやもやしかなくうれしさは感じられませんでした。何故こうなってしまったのかと考え思うことは、面長に近い私の輪郭にソバージュは合わなかったこと。髪質がかたいのに強いパーマをあてたことでかかりすぎてしまった点。髪の長さが足りなかったこと。これに関しては、パーマをあてる前の髪の長さが肩よりも下だったが足りておらず、もっと長めであったらパーマをあてたあとの長さ調整でカバーが出来ただろうと考えられます。その後私は違う美容院でストレートに戻しました。この失敗の教訓から以後パーマをあてるときは、ふんわりと流れを作る程度の髪型を選ぶようにしています。髪質がかたいことであたりにくさもあり、強めにあてないとかからないのですが、ソバージュのようなきつくウエーブの細かいものは避けるようになりました。

髪の長さについても憧れを追いかけるよりも自分の輪郭に合った長さで、そこから合う髪型を考えるように気をつけるようになりました。美容院を選ぶことも意識するようになり、インターネットで事前に下調べをして、相談しやすいお店を利用する形もこの失敗経験からの教訓です。写真を持参してこのような髪型にして下さいもまた失敗しそうであくまでも近いイメージにしたいがあいますかと相談してしっかりとイメージを確認してパーマをあてるようになりました。私のような面長はショートヘアでパーマをあてるならばふんわりが似合うとわかり、今となっては自分の髪型を身を持って知ることが出来た教訓多き失敗談になりました。

パンチパーマへの憧れ。坊主頭の中学時代の話。

遠い昔の話です。
当時の通ってた中学校はと言うと坊主中学でした。頭に手の平をのせ その指から出てはいけないと言う学校の規則がありました。と言っても本来は5部刈りもしくは3部刈りが規則なのですが 県下でも優秀な中学校でしたから先生の言いなりでした。今では考えられない話ですよね…人権侵害だの虐待だのっう話に発展する時代ですからね。
ま、部活がバレーボール部でしたから どちらかと言うと長い髪の毛よりは短髪の方が楽で良かったんですけど 高校になり中学時代にバレーボールをやっていたと言う事を嗅ぎつけた顧問の先生が 是非一緒にやろうと言ってきたのです。そこは逆に県下でも有数の悪の学校です。
中学時代に抑えつけられていたので高校は伸び伸びと楽しもうと思っていたので兄貴のお古の中ランとボンタンで学校に行きはじめたら先生と先輩が とにかく部活を覗いてみろ!と言うので渋々顔出す事にしたのです。1回顔出しただけで何故か入部決定になってしまいます明日は授業終わったらダッシュで来る事!朝は7時半から朝練だから先輩が来る30分前に来てネットを立てるように…
あと その髪 …坊主にして来い!
へ?中学卒業前から少しずつ伸ばして ソフトパンチ当ててたのに 何故?
とにかく 中ラン、ボンタン、パンチ禁止!と言う事で 1週間後には また悪夢の坊主生活に逆戻りです。あれだけ優しく持ち上げていた顧問の先生は鬼に変わり、先輩も恐ろしい位に変貌しました。
なにかあると部室に呼び付け 全員正座で説教なんです…帰宅部のヤンキーが普通なのかと思えば 部活するヤンキーもいるっう事ですわ!
1年我慢して2年になり先輩になったのですが他の奴らは優しいから説教もなくなり和気藹々と1年と仲良しこよしになって来て先輩の威厳っうのがなくなって来たあたりから部活に行くのが億劫になり幽霊部員になってきたんです。三年生も引退なので実質 私達の時代ですから気楽なもんです。ま、それまでダメな髪伸ばした事、短ラン、ボンタンにかえたので何度か先輩に焼き入れられましたが 無駄と言う事で言われなくなりましたけど…
少しずつ伸ばした髪の毛もロッドが巻く長さになったので まだ先輩は卒業してない状態でパンチパーマあてたんです!
当然 先輩に呼び出し掛かりましたが 当時連んでだ奴らのお陰もあって無罪放免でした。持つべきものは友と言う事ですね。パンチパーマ当てた時の違和感はなくシックリ馴染んできたと思ってたら今度は顧問の先生に捕まりました!なんだその髪は と頰を張られたんで天然パーマですよ…と言ったらこの前まで直毛だった奴が何言い出すをやだと また一発なぐなれ それでも 天然と言っていたので その都度 張られて10発く位やられたのでしょうかね…
しかし次の日にタバコ咥えてトイレから出た際に先生に見つかり謹慎5日と坊主にして来い!との悪魔の囁きがあり敢え無く次の日 再度坊主になって学校にお詫びに行ったと言う 坊主に纏わるお話ですが 今では そんな私ですが 床屋さんに行けば必ず 坊主!にしています。

マニッシュは前髪命で伸ばすと昭和に逆戻りします・・・

人生で失敗した髪型は、高校生時代の髪型です。

カット名は、マニッシュ系に仕上げてもらったボブカットです。

当時の私は、男性的な見た目ではなくまた、毛量が多かったので、中性的なカットは何か?と考えたて探していました。

それは、流行ったビジュアルバンドをしていたことがあります。

なので、目立ちたいこともありますが、一番は男性的な髪型が似合わないことがあったからです。

なので中性的であり男性的な髪型を探していた時にあるファッション雑誌を見て一人のモデルさんがボブカットをしているのを発見したのです。

発見したその姿は、まさに中性的で男性的な姿で悩んでいた当時の私には、ピン!とくる髪型だったのです。

また、ピン!ときた髪型を自分に照らし合わせて予想することが出来たのです。

今まで髪をカットした後のイメージが予想出来なかった私にとってイメージ出来ることが、新鮮な出来事でした。

なので、カット後のイメージをキャッチした私は、中性的なスタイルのボブカットにしたのです。

そうして、美容室でカットしてもらい完成すると、イメージが少し違いました。

それは、前髪が予想したよりも短くカットされてしまったことと、後頭部のボリュームが増したことでした。

なので、見た目がザ・マッシュルームになってしまったのです。

なので、私のイメージとは違いました。

また、見た目の問題でイジラれるのでは?と心配になったのです。

しかし、周りからは中性的な見た目になったと言われホッとしました。

なので、髪型を変えたことで中性的な見た目になり予想に反して目的どうりの結果にはなりました。

その後、カットした頭でバンドにも影響なくビジュアル系を貫くことが出来たので暫く気に入っていました。

そうして、髪型を変えて髪が伸びてからは、次第にイメージが変わってしまったのです。

それは、中性的なイメージがなくなり、周りの反応もなくなってきたのです。

それが始まったのは、髪が伸びてからアラレちゃん眼鏡をかけ始めてからです。

髪が伸びてからイメチェンの為に眼鏡をかけたのですが、伸びた髪にアラレちゃん眼鏡をかけると、まるで凡ちゃんになってしまいビジュアル系にならない状態になってしまいました。

なので、髪の毛が伸びてからは失敗になってしまい高校生の凡ちゃんになってしまいました。

このことで、カットしてもらう時に、毛量が多い分、髪を透いてもらえば良かったと当時を振り返り感じています。

また、ボブカットにしたら伸ばさずに早めにカットをしていれば良かったと感じています。

今では、当時の髪型にすることはもうありませんが、また、同じような感じの髪型にするなら、ツーブロックをした後にボブカットをしようと思い、過去の髪型を振り返っています。

ツーブロックでは、毛量も少なくなりますし、小まめに髪をカットしに行かなくてはいけないからボブカットには、ピッタリだと感じています。

そんな昔の話はさておき、現在はハゲてきているのでツーブロックどころではありません。メディカルミノキ5やリアップを使って薄毛の治療をはかっている毎日です。

 

バイク乗りがやってはいけない髪型・・・

10年前、大学時代の髪型です。その当時はソフトモヒカンという髪型が流行りつつあり、芸能人でも多く見受けられました。代表的だったのがキンキキッズ堂本剛さんです。あの方がやり始め、何なら左側が金髪、右側が黒といった誰もが考えつかないオシャレ度だったのです。そこでずーっと髪が長めだった自分は挑戦してみようと思いました。
しかし、あの髪型は髪が太く固い人向きだったみたいなのです。真逆だった自分は、美容室で一時的に髪質を固くする液剤を使いました。出来上がりはキレイなソフトモヒカンに仕上がりました。
ワックスなどでセットしたことがない自分は、ワックスを買い込み、朝も髪型に時間を掛けるようにしました。
大学時代はバイク通学をしていまして、距離的に1時間くらいでした。バイクはヘルメットを被ります。気づくのが遅かったんです。。。家で時間を掛けてソフトモヒカンを作り上げたのに、ヘルメットで全部押し潰されてしまうんです。せめて数十分なら元に戻る可能性がありますが、何時間もヘルメットを被ると完全にペチャンコになるんです。
学校に着いてからいつも鏡を見て直そうとしても、ワックスが付いている髪は押し潰されたせいで、普通の前に流した短髪になっていました。モヒカン部分も立てようとも立てようとも逆に寝ぐせみたいに立ってしまいました。
周りではキレイにソフトモヒカンをやっている人が居ました。モヒカン部分もキレイにセットしてあって羨ましくて仕方なかったです。その後はワックスを付けずにそのままで試みてもやはりダメです。髪質が柔らかくクセっ毛の自分はもうどうにもなりませんでした。
短髪は、柔らかくクセっ毛の人がやるものではないと思いました。しかもソフトモヒカンというセットありきの髪型はセットなど面倒くさがる自分には向いていなかったのです。友達にもソフトモヒカンとも気付いてもらえず、ただの短髪という認識でしたし。
諦めた自分はもう何もしませんでした。ワックスをやめ、逆にヘルメットで潰れるのを利用して、わざとペチャンコの黒髪短髪で行こうと思いました。その当時はケミストリーの堂珍さんがそのような髪型をしていたので必死に前向きに持っていきました。
髪型が上手く決まらず、買い込み続けたワックスやジェルも使わずに放置状態でしたし、そのソフトモヒカンもただの短髪になってしまいましたし、なかなか髪もすぐ伸びないので、その当時の残念な記憶として残っています。